指切げんまん
「なあ兄弟、約束だよ」
むき出しの左腕を結束バンドできつく縛られる。そんなにきつく縛ったら取れなくなってしまうのじゃないかと思ったが、まじまじと見ると解除ロックのついたものだったので安心した。安心すると左頬が上がってしまう、その癖を見とがめられて、横から、何笑ってんだてめえ、舐めてんのか、と怒号が飛んでくる。向かいに鎮座する男もいぶかしげに眉を上げていたが、片手をあげて膨らんだ怒気を制した。
「飛んでるやつだと思ってはいたが、今度ばかりは俺が黙ってて済むことじゃねえよ。それくらいは分かるよな?」
腕を引かれて机の上に押し付けられる。手首から先が乗った木製の分厚いまな板は古く傷んでいて、もう何年も使われていないものなのだと見て取れた。それはそうだ。小指を切ってけじめをつけるなんて慣習は今時どこの組でもやっていない。仁義で結びつく時代じゃない。なのに俺の手の真横には鈍く光る刃物が突きたてられている。なぜか。約束だからだ。
指切げんまん嘘ついたら、指を切るんだよ、兄弟。むかし、男はそう言って笑った。まだ俺たちが高校生の頃のことだ。煙草のヤニで壁が真っ黄色になった部室で、よく二人で仁侠映画を見た。男の趣味だ。思い切り影響を受けた男は、当時から折に触れ俺を兄弟と呼んだ。お互い一人っ子で親も親でないようなもんだったから、余計に家族以上に家族のようなつながりを欲していたのかもしれない。どっちが兄でどっちが弟か、俺たちで決めることはなかったが、同じ組に入ってから自然と上下が離れていった。
男は筋ものとして優秀だった。俺はただのぐれた輩と大差ない。ただ男の弟分として置いてもらっているようなものだった。組織の一員として行うことは何もかもがつまらなかった。俺はただ男が憧れに酔い、理想を追い求めていくのを横で見ていたかっただけだ。年数を重ねるにつれ横に並ぶことができなくなっていったから俺は遊んだ。遊んで遊んで、組に義理だってないから好き勝手やっていた。男はどんどん笑わなくなった。俺は焦った。焦りながら遊ぶしかなかった。それが転がって、デカいことになってしまったから、こうして引きずり出されている。
「お前、噓をついただろう」
男が刃物をもって、切っ先をまな板にコツ、コツと打ち付ける。その振動とともに、男の声が腕を伝わって体にまとわりついてくるようだ。
「覚えてるか。それともお前のぐらついた頭は、俺との約束まで忘れちまったか」
体にまとまりついた声は、胸を刺激し、背中を刺激し、やがて腰から下まで這いずっていった。俺の左頬は相変わらず上がったまま、やくそく、という言葉にゆるみきっている。
「俺の方こそ、忘れられたかと思っていたよ」
兄貴、と呼びたくなかった。俺たちの間には上も下もなかったからだ。
それでも、覚えていてくれたならそれでいい。そろそろ左腕の血も止まって、切られなくても腐って落ちてしまいそうだ。俺は周りを取り囲む大勢の組員のことは意識の外に追いやって、ただ男を見て笑った。男の名前を呼びたかった。ずっと呼んでいないから、もう思い出せなかった。
男は刃物を隣の人間に渡して、静かに腕を組んだ。切れ、とただ一言。その瞬間を見届けてくれた。
ずっと二人で遊んでいたかった。けれどそれもかなわないほど、なんだか遠くに来てしまったらしい。
兄弟、知っているか、昔は想った男に小指を送ることもあったんだってよ。兄弟ならそんなことくらい知っているのかな。切った指はもらってくれよ。約束のその先を、周りのことなんて関係ないただの俺を、お前にやってしまいたいから。
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