ex.二人さえ悲しい

 膨らんだ部屋の空気に飲み込まれて、じっと床に腹をつけている。太陽はとっくに隣の家の向こうに消えて、空の色は随分薄められたが、熱がちっとも引いていかない。フローリングはワックスが剥げきって肌触りが悪いし、押しつけた頬骨がじんじんと痛むが、多分この部屋のどこよりも涼しい。扇風機もまあそうだねと頷いている。気がする。その猛々しい唸り声に耳を傾け、ふくらはぎから首筋までを冷やしている。時々外を車が通れば振動が頭蓋骨に直に響く。ふと、外階段を上ってくる音がして目を開けると、低い視線の先でドアが開いた。

「……真紀いんの? 死んだ?」

 白いジャージが右、左、右と近づいて、ぞろりと上から降りてきた二本の腕が扇風機を動かした。俺の療養所を荒らすな。半分よれた唇で言うと、馬鹿にしたような半笑いと共に男の腰が降りてくる。真横に座られて、体温がじわじわと寄ってきて不快だ。離れたいがために仰向けに転がると、男の、佐伯の顔がよく見える。何日ぶりに会ったかすぐには出てこないが、少し痩せた気がする。ジャージもTシャツも妙にぶかぶかだ。

「真紀、飯食った?」

「食ってねえ」

「何か作って。何でもいいから」

「一人で食え」

「いいじゃん俺、お仕事、つかれ」

 た。最後の一文字だけ機械が喋ったように響きが固かった。気づいた俺に佐伯が気づく。ゆっくりと此方を見下ろす顔は、夕暮れの薄暗さのせい以上に影が落ちている。覚えのある類の表情は、見るだけで此方の気を水底に沈めるように重くする。俺はもたげていた首を床に降ろしたが、ずらした視界を追って顔を覗き込んできた佐伯は、やはり、きたなく笑っている。唇が開き、そこから出てきそうな自分の名前を押しとどめようと「暑くて動けねえよ」とだけ言った。本当のことだ。とにかく暑い。人に構っていられない。佐伯の話を聞いて苛立つ気力が、今はない。笑いをそぎ落とした佐伯は、指を力なく開いた俺の手の方を見た。数秒の沈黙のあと、深々とため息をついて自分の膝に頭を埋めた。肩の骨がやけに目立つ。拳を作るのは億劫ながら、その骨には触りたいと思った。佐伯が何か言ったが、扇風機の音で全く聞き取れない。何度か聞き返して言い直してを繰り返し、聞こえねえよと文句を言うと、カチッという音を境に風とモーターの音量が下がった。代わりに聞こえるようになったのは、暑苦しいほど震える呼吸と、どこか遠くから一匹の蝉の声。静かな静かな夏の始まりの中で、佐伯は「真紀の飯が食いたいよ」と言った。

白状

申し上げます どうかこれきりと願います

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