2024.02.25 06:32ex.二人さえ悲しい 膨らんだ部屋の空気に飲み込まれて、じっと床に腹をつけている。太陽はとっくに隣の家の向こうに消えて、空の色は随分薄められたが、熱がちっとも引いていかない。フローリングはワックスが剥げきって肌触りが悪いし、押しつけた頬骨がじんじんと痛むが、多分この部屋のどこよりも涼しい。扇風機もま...
2024.02.25 06:31ex.無題 頬を冷たくて柔らかいものに預けて、着物が擦れるような音をずっと聞いていた。誰か歩き回っている。きっと何人もの人が、わたしを囲って滑るように、足音を立てずに、するする、さらさら。小さな蔵の天井も壁も、わたしの頭のように、すべやかなものに撫ぜられ続けている。「誰か、あるの。」 聞く...
2024.02.25 06:30ex.あなたのために 滑りのいい木の引き戸を開くと、雨の夜の端に立ってしまった。日中、降るか降らないかギリギリ保っていた空を見ておきながら、傘を置いてきたのはいけなかった。細かい雨粒がさらさらと空気を冷たくしている。酒熱を帯びた頬には気持ちよく、覚束ないでいた意識が速やかに立て直された。出るのも躊躇...
2024.02.25 06:30ex.僕たちあいしあっているんです 浩太郎くんはしばしば無くなる。それは何の前触れもなく、例えばいつもよりも機嫌の悪さが際立つなどの兆しもなく、強いて言えば雨が強い日に時々無くなってしまう。僕の部屋は人一人分の密度を失うが、それもまあ空間として大した差ではない。彼はここに住んではいたものの、殆ど身一つだったから。...
2024.02.25 06:29ex.遭難 洗面台の前で何かが足を刺した。床がいつものように平らではないことについて考えている間に、血管が此処だ此方だと騒ぎ出して、ようやく足の裏を見よう、と思う。痛む方の足を持ち上げると、ころんと何かが剥がれて落ちた。土踏まずの少し下に血が膨れる。唾をつけるとすぐに止まった。お尻を床につ...
2024.02.25 06:28ex.3R 梅雨の中晴れの蒸し暑い日、タバコの煙は熱気に蓋をされていつもより拡散が遅いようだ。フィルターの意味なんかないような、主流副流もくもくの喫煙所。背中のだらしなく丸まった俺の横で青山さんはしゃんと背筋を伸ばしている。同じ空間にいるのに青山さんには不思議と煙がまとわりつかない。オーラ...
2024.02.25 06:28ex.今日でおしまい 物事を好きと嫌いで分けることはあまりしないけれども、雨は嫌いという言葉がしっくりくる。ちゃんと言うなら雨の日に外を歩くこと。そして知らない人を人間として知覚してしまうこと。 傘をさして誰が誰やらわからない。足元もしぶきや雨粒で曖昧で、みんなが少し幽霊に近づくようだ。自分だけでは...
2024.02.25 06:26ex.よるの船 頭の神経を繋げる糸が端もわからないほどこんがらがってしまって解きほぐし不可能、おまけに心の目が疲れ眼になってよく見えない。無色曖昧な圧迫感。重力に完敗した全身をクッションに沈めて、ひたすら眼を閉じて時が経つのを待った。眠い訳じゃない。耳をぞろぞろ歩き回る雨の音が辛いのに、今じゃ...