ex.3R

 梅雨の中晴れの蒸し暑い日、タバコの煙は熱気に蓋をされていつもより拡散が遅いようだ。フィルターの意味なんかないような、主流副流もくもくの喫煙所。背中のだらしなく丸まった俺の横で青山さんはしゃんと背筋を伸ばしている。同じ空間にいるのに青山さんには不思議と煙がまとわりつかない。オーラか何かが汚れをはじいているのかもしれない。退屈な講義で蓄えた眠気を垂れ流し、口数の少ない俺といても楽しくないだろうに、青山さんは何をするでもなくほんのりと微笑んでいる。本当に何もしていないのに、立っているだけで存在する意味があるような美男。いいね、羨ましいね。自分の顔を卑下はしないけれど土俵の高さが違うのだ。

「町野はどうして煙草を吸うんだ」

 びん、と空気を張らせる声が俺の右肩を柔らかく圧す。少し眠気が覚めて、半自動の笑いを浮かべて煙草を口から離した。

「何でって、特に意味はないっすよ。ジュース飲むのと同じ」

「苦しくないのか」

「苦しかったときもあったかも。でももう忘れちゃいましたよ」

 青山さんはふうん、というような文字に起こせない相づちを打って、それ以上は追ってこなかった。喫煙に肯定的でも否定的でもない中立万能な雰囲気。でも伏し気味の目が何度か俺の手元をうろついたのを、見逃さなかった。見た目が整い過ぎていることの幕内の悲劇を俺はこの人に出会って初めて知った。子どものような好奇心は、誰だっていつまでも心に残って消えることなんかない。そんな当たり前のことがこの人の中にもあること、気がつく人が何人いるだろう。まこと無欲な人間なんか、絶えず穏やかな人間なんかいないのに。きめ細かい肌の下はきっと大層孤独だ。なんて、俺には関係ないけどね。

「吸わない方が良いっすよ。毒なだけだし、歯が黄色くなっちゃうし。青山さんがそうなったら女子が泣いちゃう。俺も泣いちゃう」

「何を言ってるんだ」

 ははは、と上品に笑って、青山さんは肩をくつろげた。別に一本くらいお試しであげたって良かった。俺はケチじゃない。でもね。

 辺りがふっと暗くなって、見上げると鈍くて重たい雲が太陽の下を通過しているところだ。結局ひと雨来るかもしれない。湿った風が喫煙所を吹き抜けていったが、とても空気が入れ替わったようには思えなかった。果たして空気のせいなのか、煙のせいなのか。それとも本当に俺の中にしか、この重みはないのか。

 灰を落とす回数を減らしたくて、咥えた煙草がじりじり短くなるのを見つめる。唇を暇にしたら言ってしまいそうなこと。俺の元カノがあんたに送った告白メールになんて返したの? とか、クソ面白くない話題、吐くなら煙の方がよっぽどマシだ。たとえこの人が、罪悪感じみた収まりつかない思念のために、不器用に俺の横に立ち続けたとしてもだ。彼女が俺に砂かけて去って行こうが、自分の肺が黒くなろうが、全て曇り空みたいにはっきりしない。くだらない、全て、全てだ。苦しかった時もあったかもしれないけどもう忘れた。いっそ雨が降ればいい。この人が濡れたら、俺も少しは愉快だろうから。

白状

申し上げます どうかこれきりと願います

0コメント

  • 1000 / 1000