冬の大六角形

 真冬の二十三時、思い立って行ったコンビニの帰りで、バイト先の先輩と遇った。手をあげて、会釈をして、家が近いんだっけそうなんですよと基本的なやり取りをする過程で、先輩の手から長い紐が地面に向かって垂れているのに気がついた。

「散歩散歩。亀、亀」

 何を持ってるんですか、と問いかけた俺に先輩はそう言って軽く紐を揺らした。亀、らしいが、持ち上げて見せてくれることはなく、先輩の立っている足元は丁度、そこの家宅の塀に街灯が遮られていて、路側帯の白線の側に何か黒い塊が在ることしか分からなかった。わざわざしゃがんで見るほどでもなく、へえ、亀も散歩するんですね、と俺はあまり頭を使わずに述べた。

「別にしなくても良いんだけどよ、夜空を見せておこうと思ってさ」

 先輩が空いている手でダウンジャケットの胸元をごそごそと弄った。ポケットを探ったようだが、在るべきものを忘れてきたのか、何も取り出さずにその手は落ちた。息を深く吐いたので、煙草を欲しがっているのかも知れなかった。

「死んだら空に行って星になるだろう。ずっと家の中で過ごしているのに、その時になって初めて空を知るんじゃ、あんまり心細かろうから」

 ただ、変わった趣味だ、と考えるだけの、相槌もない俺に、先輩はどんどん喋った。死んだら星になる、その時に亀が心細いと感じる。あまりに俺の既知の感覚と離れたことを、当然の事実のように話す先輩が不気味だった。恥ずかしくないのだろうかとさえ思った。両脇をきつく締めた俺は、寒いよな、呼び止めてごめんな、とかけられた言葉を積極的に受け取って、再び形の荒い会釈をして歩き出した。角を曲がる際に振り返ると、先輩は一歩も動かず、地面を、亀を、じっと見つめていた。

 暗闇よりも分からない心で、一心に自分の家に帰り着いた。つけっぱなしの暖房に体の表面がふっと溶け、そのまま上着も鞄も放ってソファになだれ込んだ。瞼を長く閉じてみると、最後に見た先輩の立ち姿が浮かんでぞくりとし、体勢を整えながら、亀は今時期冬眠しているはずだとふと気がついた。亀は俺達が立ち尽くしている間ちっとも動かなかった。あの黒い塊から魂が抜けて、はるか夜空の大六角形になるのを想像しても、あまり素敵だとも感じなかった。

 それから直ぐに渡されたシフト上、先輩と顔を合わせる機会はほとんどなかった。次のシフト変更はもう冬も終わろうかと言う時で、ロッカールームで入れ替わりになった時に、何気なく亀は元気ですかと聞いてみたら、安心してさ、とだけ言って笑って帰っていった。意味が分からなかった。俺は先輩のことをよく知らないままで、さほど好きにもならないままだったが、やがてバイトを辞めてしばらく経つまで、あの亀は安心したのだろう、と時々思うのだった。



フリーワンライお題「冬の大六角形」

白状

申し上げます どうかこれきりと願います

0コメント

  • 1000 / 1000