さしすせそ
逆さまに見ていた文字が、何かを合図にひどく道を逸れ始めた。レールであるべき行から外れ、二行ほど隣へ進入した時に俺は鉛筆を持っている手を抑えた。いきなり止められた荒木は最初怪訝そうにしていたが、帳面をつついてやるとウワッと声を上げた。
死の国に迷い込むような顔をしていたぜ。こちらも少し怯えた姿勢で告げる。消しゴムをかけながら、荒木は浅くため息をついた。まつ毛を伏せて、いかにも物思いがある様子だ。わざわざ残って取り組む宿題の最中に、気をとられることなどあるだろうか。さては好きな女が、いるんだろう。
進んで色づいた話をしない堅物の、四角い瞳がふっと揺れた。これは当たりか。椅子を向き直し、左右へ逃げる視線を捕まえようと机に顎を下ろした。よしてくれ、と額を押されても見つめ続けると、荒木はおもむろにたち上がった。バタバタと文具を引っさらって、教室から素早く出て行ってしまう。
せかせかとした歩調を小走りで追い、昇降口でやっと並んだ。外は暗い豪雨で、複雑に弾けた雨粒で霧が出ているようだった。すまなかったよ、清純な君には合わない話題だった。そう言いながら、パッと開いた傘に体を滑り込ませると、顔をしかめながらも半分空けてくれる。
騒々しいまでの雨音の中で、静かなまま分かれ道に着いた。相合い傘の礼を言い、水の世界へ飛び出そうとした俺の背に、小さくも確かな声がした。僕は、ちっとも清純なんかではない。振り返った時には既に雨が境を作っていた。ほっそりとした背中が、見る間に薄れていく。逃げるように、隠れるように。
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