雨夜の骨に酒雫
おや、おやおやどうした、こんな時分に。まあ真っ暗ン中をお前さん笠もかぶらねえで、ずぶ濡れじゃねえか。てっきり幽霊かと思ったよ。
とりあえず入って入って……うちも雨漏りして、じめじめ湿っちまって申し訳ないが、外よりかいくらもマシだろう。
お前さんがおれなんかにそんな急用があるかしらね。なんなんだか。
すまないね、手ぬぐいの一つもやれればいいんだが、少ないのをちょうど全部使い切っちまってて。いいかい。ここにいるうちに熱を出したりしねえでくれよ。人の看病なんてできないんだから、
え、仁伍。
仁伍のこと。
なんだい、いやだね、思い出話でもしようってか。まだ四十九日も過ぎちゃいないのに。死人なんだ、話すと来るよ。来てほしいのかい。
来てほしいんだな。
お前さんは仁伍とそりゃあ仲が良かったもんなあ。ああ、泣いちゃ困る。もしかしてあいつがいっちまってから毎晩そんな有様か。道理で幽霊じみているわけだ。
いいよ、話そう。
話そうって言ってもね、おれはそんなに深い付き合いじゃなかったからなあ、お前さんの話を聞くんでいいか。あんまり聞きたかないけどね……。
はあ、そう、幼友達で。
よく酒を飲んで。はあどちらかに喧嘩がありゃあ片方が助けに行って。
あんたの祝言のときには貧乏なのに祝儀をひねり出してくれて。
いい奴だ、いい奴だ、と。ほうほうほう……。
そうだねえ、そのためにあいつ、酒を何日も控えたんだからねえ。
え、いや仁伍からね、たまたま聞いたんだよ。親友の祝いのために必要だってね。まああのゴロツキが朝から晩まで働いてさ。きっと笑顔で渡したろうね。
ああ旅ね。男二人で行った話も聞いてるよ。
どこまで歩けるか、どっちが歩けるかなんて、あんたたちはそういうのが好きだったんだねえ。
仁伍ったら履物をあたらしくしたりして、まああれは見栄だわな。
あんたに? あんたに見栄張ったんじゃないさ、単に旅行だってんで息巻いたんだよ、そうだよ、あんたに格好つけてどうするのさ。
いや、それで。他の思い出は。
ない。
ないってこたないだろう。
ええ。ただ毎日毎日一緒にいて。
ろくでもない話して、酒飲んで、喧嘩すれば取っ組み合って。
そうやって何年も。
何年も何年も。
何年も何年も何年も。ああ、ああそれはご苦労なこった。
ああ、いや、苦労を共にしたんだなってことよ。付き合いの長い友達ってのは良いもんだやね。
おれはね、仁伍のことを良い奴だとは思っていなかったよ。
ははあ、そう怒りなさんな、いや、怒る気持ちはわかるんだが……、どうだい、あの人普段はたいして仕事もせず、酒に酔っちゃあ他所に絡んで、親切とはずいぶん離れたところにいる人間だと思っていたからね。
でもあんたの言ってることもわかる。そういう荒れた輩が、これと決めたお仲間だけを大事にするのはもう世の定めみたいなもんだから。あんたの他に、仁伍がやさしくしていた人間っているのかい。いない。
はあはあ、そうかい。
あの人の酒癖の悪さに付き合ってたなら大したもんだ。一体お前さんといる時はどんなだったんだか。
おれが知っているのはね、とにかく飲んで飲んで飲んで……ひとなめしたら赤ちょうちんが顔にぶーっと膨らむようなのに、飲んで飲んで飲んで……、途中で止めたって殴る蹴るがひどいしね、そんで飲んで飲んで……こてっと寝ちまえば可愛いもんだが、うわごとがね、ひどかったよ。
たいてい意味なんか、おれには分からなかったけどね。いや、知らなかったのかな。知っていたんだがね。
つらい、つらい。にくい、にくい。そんなことを言うんだな。確かね。
何がって言うのは、これは何べん聞いても吐かなかった。酒は死ぬほど吐いていたけど、誰が憎いのかは一度たりとも言わなかったよ。
おれじゃいけないんだ、おれじゃいけないんだ。
そんなことも言っていたな。
あんた知らないのかい。聞いたこともないって。泣いてるところも、子供のころ以来見ていないってか。はっは。
いや、どうだろうね。本当におれは、それ以上言われなかったんで、いま、お前さんにこういう訳だろう、なんてことは申し上げやしないわな。墓まで持って行っちまったからね。石の下で大事に抱えて眠ってやがるんだろう。
でも、お前さんが、仁伍の墓に片足突っ込みそうな顔して毎日いるのを、あの人はどう思うのか。
嫌がると思うかい。叱られると思うって。
そうか、そうだな、一番近くにいた人間の言うことが正しいや……。
しかし、どうも雨が止みそうにないね。お前さんどうする。
帰るって。 それがいい。家で奥方も待っておられるんだろう。待つ人がいたらそこに帰ってやらないとな。貸してやる笠もなくてすまないが。
いやいや、こっちも話ができたのは、結局よかったよ。
ああ、じゃあ、さようなら。さようなら。
つらい、つらい。
にくい、にくい。
おれじゃいけないんだ。
おれじゃいけないんだ。
おっと、ああ、すまないすまない。
酒だね、はいはい、分かっていますとも。
もうこらえるこたあ無いからね。ずうっとここで飲んだらいいや……。
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