毒殺
ナイターと柿の種を肴にビールを飲んでいる俺の横で、姫路はしきりに身をもんで頭を抱えていた。
ひいきにしている選手の次の打順はまだだ。戦況は思わしくなく、両球団とも調子悪で、ヌケたエラーが出る度に応援団も勢いが削がれていく。
球場もこちらも間延び気味だが、いつどんな方向に急展開するかわからないので目は離せない。空のビール缶を整列させながら、俺は5:1の黄金比率で柿の種をつまみ続けた。
「どうしようどうしよう、ちくしょうやっぱり止めるべきだった。痛いし気持ち悪い。最悪。最悪。戻りたい」
気になる。
呪詛のような姫路の声はもう慣れているので、小川のせせらぎのように聞き流せる。
しかし今日は動きが激しい。いつもはせいぜいクッションの端をいじくる程度なのに、今日は頭を抱えてぐらぐら揺れたり、急に仰向けになったりと落ち着かない。
何が彼を苦悩させているのか知らないが、あまり聞いて関わりたくない。口出ししまいと思っていたが、横に大きく傾いてチェストに頭をゴチンとぶつけた時には、つい「大丈夫か」と声をかけてしまった。
「大丈夫じゃない。大丈夫じゃないよ。ああもう痛い」
「じっとしてろよ。頭打つとか、笑えねえ」
「頭なんかどうでもいい」
良くはない。
瞬時にそう思ったが、今の姫路に連続的な会話は難しいだろうと思い直して、口に出す前に飲みこんだ。
それきり彼は黙り込んでしまい、再びテレビから流れる楽団の音が耳についた。
姫路は両手を後ろにつき、頭を右肩にもたれながら悲しげな顔をしている。
いつも悪い顔色が今日は更に悪い。青ざめている上に、頭をぶつけたショックか少し血が上っていて、毒気のある紫色に変わっている。やっぱり頭痛いんじゃねぇか。寝ろよ。
多少疎ましい気持ちを交えながら腹の中で呟いた直後、ぽつりと
「処女膜」
と声が落ちた。
「……は?」
「処女膜を失ったんだ」
ヒットが放たれテレビから歓声が上がった。俺の目は一度その興奮に奪われたものの、すぐに姫路に引き戻された。
異常な情報を入れてしまった俺の脳の動きは鈍かった。頭の中にバラバラと言葉が散らばるが、どれが的確なのかがわからず反応できない。がっちりと固まったままの俺に対し、顔色がただの青に戻った姫路は嫌に落ち着いた表情でこちらを見据えてきた。
「引田、俺のこと嫌いになった?」
「なんで今その質問よ……」
「今の俺の話を聞いて嫌いになった?」
「いやいや、まず話が全然理解できない」
「処女膜なくなったんだよ?」
知らねーよそんなの。あんま何回も処女膜って言うんじゃねーよ。
頭ではそうわめき散らしていたものの、事なかれ主義の俺にはとても噛みつくことはできなかった。
じっとこちらを見つめ続ける姫路の目線が辛い。
「……いや、まぁ、大丈夫だろ。そんなのないし。俺もないし」
面倒くさくなってきた俺は無理やり柿の種をつまみながらそう吐いた。とにかくこの話題が早く終わってほしかった。
気まずい雰囲気のままビールにのばした手が、いきなり強く掴まれて、振り向く間もないまま背中を床に叩きつけられる。息が止まりそうになった。
覆い被さってくる姫路は逆光で真っ黒だった。
うわぁ化け物だ。
叫んで暴れようとしたが、全身の回路がブチ切れてしまったらしく動けない。視界もゼロだ。あ、俺白目むいてる。
「お前の処女膜は俺のものだろ」
耳元で彼のものとは思えないような低い声が唸ったと同時に、ズボン越しに尻に何かが突き刺さった。
お、おおお
「おかあさぁーーん!!」
その日の試合は俺の応援する球団がギリギリ勝ったらしい。頬を腫らせた姫路が教えてくれた。
左手で小さくガッツポーズを作る。あー、俺、今日も生きてるわ。
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