無体合戦

 火鉢の傍で体を丸め、炭の燃える音に耳を寄せていた午睡の時、おかみさんののびやかな声にむんずと意識を掴まれた。半分すっかりあの世へ行った頭を振り振り、記憶をまき散らしながら降りていった階下で、おかみさんがしきりに首をひねっていた。手元と床には封筒が何枚かあり、いくつはかずいぶん膨らんでいる。

「どうしました」

「上矢さん、あなた宛てにお手紙が届いてますよ。降りて来なさるのを待とうかと思ったんですけど、ねえ、こう何通もあったんじゃ。それに何度も何度も届くんで。郵便屋のことじゃないわきっと」

 床に並んだ三つの封筒のうち一つを拾い上げた。つまんだ拍子に中で滑る音がして、振って見るとどうやら小さな硬いものでも入っているらしい。

 封筒は白くはあるが、端がやや褪せたように黄色くなっている。表にずいぶん汚い字で僕の名前がしたためられているが、差出人は両面かえしても見当たらない。

「開いてみましょうかね」

 わずかな隙間に指を差し込んで、糊付けをはがしていく。と、中に入っていたものがするりと滑って床板に跳ねた。おはじきだ。

 模様さえ入っていない、透明なガラスのかけらが一つ。封筒の中身はそれきりだった。

「おかみさん、怪しいものは取っておかなくて結構。第一、僕の元へ手紙なんか送る人間はありませんよ」

 おかみさんの手から受け取り、おはじきと届いたすべてを拾い上げて、階段を軋ませながら自分の巣に帰った。昨晩取り掛かっていた作業の道具をまたいで、文机に封筒をばらまいた。どれもこれも似たような便箋だ。経年を感じさせる紙の古さが、鳥の羽やら松の葉やらのひしめく机の上に、不思議なほど素早く馴染んでしまった。

 心当たりが無いでもない。眠気の引き起こす頭痛の端、我が我がと主張するものがある。透明なおはじき、いかにも僕の好むようなものを寄越す人間。人間だ。腰を落として、座布団の冷たさがしんしんと体に沁みこむほど、暗幕はめくられていく。心が苛立ちでささくれる。誰が、そこへ立っていいと言った。

「先輩」

 火鉢の中の炭が、一つパチンと大きく鳴いた。落ちていた首をもたげると、ぶくぶく着ぶくれた男が床に手をついて存在していた。

「先輩。お尋ねしたいんですがね。とうとう、僕を実験に混ぜて頂きたいんですが、そのご挨拶としてお贈りしたものをご覧になった?なっていない?今日の夜明けから何度かお届けに参りましたけど」

 寒さのせいだろうか。木のうろの中でしゃべっているような、丸く鈍い声だ。彼の唇は、ある木管楽器のベルに似てすぼまりが強く、舌は秋の終わりまで生り続けたどんぐりのような型をしている。一度確かめたことがあったが、輪郭を知っただけで充分であった。この男が僕の期待や、希望や、掴ませた興味以上のものを持ち合わせていたことは今までに一度だってなかった。瞳、歯列、肺の収縮、拍動の速度、膝の関節。どれも一瞬だけ僕の神経を引き留めるが、まじまじと見てしまえば何のことはない。美しさもなく、奇異であるわけでもない。僕は彼に関して記録の一つもつけやしなかった。残すべきことが無い、という結果だけが積み重なっていく。僕は飽いていた。

「君、帰りたまえ。一切手伝って頂かなくて結構。君が入れやしないんだから。封筒はそこにあるが、何なら持って帰りなさい」

「いえ、困りますね。貴方にさし上げたものですから。どうです、そのおはじきなんか管の中に入れてみては」

「喋るな」

 手を振って男を制し、床にころがしていた煙草を口にはさんだ。男がはたはたと自分の胸元をたたいているが、どうせマッチは出て来やしない。自分で付けた火種をくゆらせ、煙と共におはじきを男へ滑らした。

「贈り物も充分、君は混じらないでくれ」

「いや、いや、待ってください。これを先輩の実験に加えなくても結構ですが、それでも受け取っていただかないと。先輩はロクに大学にいらっしゃらないからご存じないかも知れませんが、僕ぁ外に生きているのでね。今日はこれなんですよ。物を贈ると」

「僕は知らない。今日は何の日でもないはずだ」

「外国のことですがね。そら、貴方は知らない。先輩も外をご覧にならないと。先輩、ほかの国の言うにはね」

 紅潮してきた男の頬に、空の封筒を押し付けた。これ以上話されてはたまらない。手ぶりで空気をかき混ぜられては僕の呼吸するところが無くなってしまう。封筒を押した手を広げ、男の鼻と口をふさぎながら腕を引いた。立たせようと上へ力を加えるが、彼も左右へ身をよじりひどく抵抗する。ぶらぶらと揺れる両名の腕の貧弱なこと。ばかばかしいほど情けない。やがて重心がなだれ、もんどりうった僕は強かに柱に頭をぶつけた。

 飛び出そうな眼玉を押さえて、巨大な鐘の打つごとき痛みに耐えていると、天井から大きな笑い声が降ってきた。

「ははは、先輩、僕ぁね貴方の言うところのつまらない人間かもしれません。自分で言いたかないですが先輩が何度も言うものだから少し意識に根付いてきました。不健康、不健全ですよ。そうですとも。いくらなんでも貴方はひどい、扱いが物みたいなんだから。でね、先輩は知らないでしょうが、今日は好んだ人へ贈り物をする日なんです。もらいますよ」

 ふと体が影に包まれて、穴倉に落ちたような心地がした。身を縮こまらせると、先ほど打ったばかりの後頭部にちくりと痛みが走った。顔を覆う手を除けて伺い見ると、男が両手の人差し指と親指で何かつまんで引き延ばしている。

「互いに想っていますね。そうでしょ。僕ぁ貴方にたくさんあげた。先輩は僕にくれたんだから」

 人の頭から抜いた髪の毛を、襟巻の合わせに押し込んで、男は踊るようにして階段を下りて行った。止めたい気持ちともう帰ってもらいたい気持ちがせめぎあい、結局打撲の痛みが勝って僕は男の挙動に何の反応もできなかった。

 下がしんと静まったころに、ようやく畳を亀のように這って、火鉢の横でうつ伏しに体を広げた。報い、という単語が筋斗雲のように通り抜けていったが、全体なんの話だか分からない。炭は何事もなかったかのように素朴なつぶやきを続けている。その穏やかな声に、疲れと眠気が寄せられて瞼が重く落ちた。細く薄れていく現世の端、小さなガラス片がちかちかと光っていた。

白状

申し上げます どうかこれきりと願います

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