わらべ歌

「三軒隣にも住んでんだ」

 居候はそう言って、がりがりとキュウリをかじった。たまたまやっていた朝どれ市で買い求めたキュウリは色濃い緑で、それに負けず劣らず緑色の、居候の手に力がこもる。

 何が、と聞きかけたが、ここにきてまだ日の浅い奴が「にも」などど言うのは決まり切っている。同郷か、と行くと、同郷ではないね、と言いながら、それはにんじんにも手を伸ばした。色のコントラストが鮮やかだった。

「同じ河ではないからね。あんたらの言うところの、県だか市だかが違うような感じかな。でも元の水系は多分同じだから、こう、においでさ」

 空いた手の指で鼻のあたりになんとも形容しがたい動きをする。においにまつわるものだと推測されるが、判じ難い。

 向こうも多分知ってんじゃねえかなあ。言いながら、ぼりぼり、バリバリと硬い嘴で齧り進めていく。

 会ってみるか、と聞くと、瞼がぎゅうと絞られて鼻の頭に皺が寄った。

「いや、やめとく」

 皿に残った葉物まで食べつくし、ストローで水をどんどん吸い上げる。かけらを食べこぼすこともなく、食材を載せる前の状態に戻っていく食器に思わずため息をつきそうになる。耳で聞くよりもずっと上品で、気持ちの良い食事の仕方をする。

「おれが言えたもんではないが、こんな人の世に紛れてんのはまともじゃないよ。面倒なことになってるかもしれないし、知りたくないね」

 苦々しく言うそれの指は一本足りない。触ると痛がるので最近できた傷らしいが、由は語らない。ほかにも新古欠けやら凹みがあるのだが、あんたも一緒よねと言われるに留まっている。ならば余計に聞くこともない。俺も換算すれば同じ指が足りないし、新古欠けやら凹みがあるが、一つとて説明する気にならない。たといこの生き物が、俺がもがく人の世にかかずらない存在だとしても。

「同類は良いんだ。ただ河は少し恋しい。今夜は貸してくれるかい」

 返事に代えて、空いた皿を取り上げて流し台に置き、歩きながら服をシャツからズボンから下着まで脱いで洗濯籠に放った。裸足でぺたぺたと布団に寄り、うつ伏せになってやる。その後ろからまたぺた、ぺたりと足音が寄ってきて、背に、ひやりとした、柔らかいものがのしかかってきた。

「ああ、似てる。似ているね。本当に」

 肩甲骨にさらさらとまばらな毛が擦れてむず痒かった。俺の体にぴたりと沿ったそれは、頬を滑らせたり、水かきのある手のひらで弱くたたいたりして、堪能する。俺の冷たい肌を。

「あんたはもしかして出が近いのかな。においもどこか似ているが、肌が本当に懐かしい。夏の朝の、晴れた日の水面だ。おれが一番好きな……」

 指先が這う、脇腹のあたりには、波模様の上を鯉が踊っているだろう。小さな耳がつぶれる真ん中あたりには、紅い花が咲き誇っているだろう。およそこれがいた景色とは遠いはずで、慕われているのは温度だ。紋様と引き換えに表面が死に絶えた俺の肌を、河に似ていると言って欲される。

 あの日は水多い夜だった。しぶきで前がかすむほどの雨が降り、雫が跳ね狂う地面は靴が沈む程度には冠水していた。

 俺は荒れていた。荒れるようなことをしなければならない日であった。振り回し、諸々を砕いた道具としての拳で傘の柄を握りしめていた。瞼を自分の意思でゆるめることができず、痛みを感じながらえぐるように視界を張り詰めさせて歩いていた。

 そうしていたから、俺の住むビルの陰でうごめくものに目が行った。傷に雨水を流す、刃物のような眼をしたそれと視線が合った。

 単刀直入に、あんたの家はもう一人くらい入れるのかと聞かれた。

 殺してやるとか言いそうな鋭い嘴が、そんなことを聞いてきた。

 俺は応えた。如何様にもなると思って部屋に上がらせた。

 どうせ生きる場が正道ではないのだから、一人くらい変なものが紛れても良かった。俺は別に救いを求めてもいなかったが、これまでも、今日も、明日もその先も、激しい力に満ちなければならないということを受け止めるのは、心が冷えていくものだったから、つめたい荒れ道に関係のないものが入り込むのはいっそ小気味よかった。

 それは名乗りもしなかった。血をぬぐい、簡単に食性を述べ、そしてその日のうちに、俺の肌を見つけた。

 背に沿われたとて是も非もなかった。何から何まで人間ではないこの生き物が、俺の部屋なんぞに身を隠して、故郷を思うくらいのことに貸してやるのは大義でもない。ただ、こんなにも執拗に、深厚に、欲されるとは思っていなかった。

 俺は腹ばいになって黙っている。背の冷たさ、柔らかさ、優しい手つきは眠気を誘う。しばらくして、時計の秒針にふと気が付くころに、ありがとうね、と言ってそれは離れていった。

 ぺた、ぺたりと進む先は風呂場だ。水道の音がして、平たいものを濡らす広い音がする。何か知らない、言葉でもないような歌がかすかに聞こえる中、俺は滑り落ちるように眠りに入っていった。

白状

申し上げます どうかこれきりと願います

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