ここにいるから、泣かないでね
さらりと、頬を前髪の先がかすめて、俺は窓の方を見た。すこしだけ開いた曇りガラスの隙間から、ほの白い秋の光と薄い風がすべり込んできていた。おれはのどの辺りにわき上がる何らかの高まりを抑えながら、小さくあくびをした。ひざの上に乗っていた誰かの手が、すこし滑った。
「――か?」
やわらかい響きの声がした。しかし形を持っていない。おれは頭の中で音をこね回して、一つ一つ作り直した。
(―う―か?)、 (えう―か?)、 (ねういか?)、
ねむいか?
(眠いか)
ようやくできあがった形を内側の目でじっと見つめて、すっかりおとなしくなったのを見届けてから、おれは首を横にふった、空気がやわらかいからゆっくりとしかふれない。
「――か」
それから聞こえた不鮮明な声は、短かったので無視をした。
(喉がかわいた)
おれは目を閉じて、もっとずっとずっと深いところを見ようとした。 体の奥。 ベッドの下 ここはどのくらいの高さなのだろう 土はあたたかいだろうか 土のにおい どこかに水があるはず 甘くて白い 水じゃなくておれの おれの好きな どこかに手があるはずなのに 少し遠い どこにあるのだろう ここにあるのか 床 つめたい床 壁 なめらかな筋
手
(泳げなくても大丈夫だよな)
おれは横たわっている。
今日は晴れているらしい。
「好きだよ」
するりと入ってきた言葉へ振り向くと、一人のひとが泣いていた。泣いている、ような気がする。
(大丈夫なんだよ。どこかにあるんだから)
心の奥からわいて出てきた黒が腹からうまれた白と混ざって頭のまわりをくるくると回った。
そのうちおれが全部片づけるよ。でもまだまだきれいだろ。
見渡してたら泣いていたひとはどこかへ行ってしまった。
ちかちかする光に疲れてしまったからもっと深くもぐることにした。 泣き声が大きくなった。
おれは大きく口を開けて、体の中にあるたくさんの悪い要素を追い出そうとした。何度も息を吐くのになかなか空っぽになってくれなくて、怖かった。怖くて怖くてこわくて口から目からぼろぼろこぼし続けた。
ただ、おでこの辺りにじわりとあたたかい、手が触れていて、それが何よりうれしかった。
体が軽くなって急に広いところに来たようだった。流れていきそうな体を浮かべて、雲にうもれた。
「将太、好きだ」
曖昧。曖昧。いくつも道が分かれていて不安になるけれど時々現れるひとがおれを助けてくれるんだよ。いつかは飛んでいきたいと思う。でもおれは今一人だ。
今、一人だ。
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